ブラジルの赤い土
Top
Home
スザーノにて 

 スザーノ(Suzano)はサンパウロから50kmほど離れた小さな街です。標高は700m位で何もない。当然 GUIA QUATRO RODAS (ブラジルの一般的なガイドブック)にも出ていません。しかし、空気がきれいな、日系人が多く住むところです。また日系の会社も集まっていました。小松製作所、ミツトヨなど。

 スザーノの街外れに TESCO IND TEXTIL LTD (テスコ)という元帝人系の捺染工場がありました。(現在はなくなったみたいです。)そこの代表の笠松氏が JAICA の担当者と知り合いであった関係でテスコの工場で働かせてもらい、敷地内の住宅で住ませてもらったのでした。

 ブラジルについた早々(1984年7月21日に入国、23日に)腰痛になってしまい、受け入れ先のパトロンのもとで2ヶ月ほど養生させてもらっていたのですが、サンパウロの冬の寒さのせいもあってなかなか回復せず、そこを出ることになりました。とりあえずサンパウロに出てきて次にお世話になれる所を探していたのでした。

 そこは7ha位の元シャッカラ(街の人が別荘地として農場や果樹園を持っているところ)で工場の建物の他には、マンゴー、バナナ、アボガド、桑、サトウキビ、マンジョッカなども植えていました。
 笠松社長ほか日本人5人、日系人2人の幹部の助手などの仕事をさせてもらって、腰痛ををとりあえずは治そうとしたのです。

 サンパウロにもイッペイの花が咲き暖かくなると腰痛も徐々に回復し、ソフトボールやサッカーも出来るまでになりました。


テスコのサッカーチーム、後ろの建物が捺染工場

 結局、1年間ほどスザーノのテスコにお世話になりました。

 次回からは、スザーノで過ごした1年間の思い出とそこで感じたことなどを書いていこうと思います。